たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

 人生で望むものは?

 人生で望むものは?
 金か 人々の尊敬か? 君の望みは何だ?
そいつを本気で考えてみろ

 

さよなら、僕のマンハッタン』という映画のなかで、アパートに越してきた謎めいた隣人が、若い主人公にそんなふうに尋ねる。

 

What do you want.In your life.
You want more money? You want more  respect?
What is it that you want.
Think it about it. Really think about it.
(原題:_The Only Living Boy in New York_)

 

人生で何を望むか。
今まで何度か目にしてきた問いかけだ。自分にも何度も問いかけてきた。
そして、ぼんやりといろいろと考えたり、仮の目標として設定し、それを口にしたりしたこともある。だけどどこかで、きれいごとな気がしてしまっていた。現実には俗な欲望に振り回されて生きている。

 

ちなみに、呪術廻戦の主人公である虎杖悠仁(いたどりゆうじ)は、爺ちゃんの遺言である「たくさんの人を助けろ」という言葉に従い、そしてそれによって「多くの人に看取られて死ぬ事」を目標にしている。そういう考え方もあるだろう。

 

しかし、カスタネダ著『ドンファンの教え』の中に登場する、アメリカインディアンの呪術師たちはそんなふうには考えない。

 

 道のゆくさきは問われない。死すべきわれわれ人間にとって、どのような道もけっしてどこへもつれていきはしない。道がうつくしい道であるかどうか、それをしずかに晴れやかに歩むかどうか、心のある道ゆきであるか、それだけが問題なのだ。所有や権力、「目的」や「理想」といった、行動をおえたところにあるもの、道ゆきのかなたにあるものに、価値ある証しはあるのではない。今ある生が空疎であるとき、人はこのような「結果」のうちに、行動の「意味」を求めてその生の空虚を充たす。しかし道ゆきそのものが「何もかもあふれんばかりに充実して」(ドンファンの表現)いるかぎり、このような貧しい「結果」のために人は争うことをしない。〈心のある道〉をゆき〈美しい道をしずかに歩む〉人々にとって、蓄財や地位や名声のために道を貧しく急ぐことほどいとわしいことはないだろう。
                         (真木悠介『気流の鳴る音』より)

 

自分の生きているいっときいっときが、「何もかもあふれんばかりに充実して」いるという自信はもちろんない。でも、というか、だからこそ、何かの目的のために今を〈手段化〉してしまうことで、よけいに生を充実から遠ざけてしまうことは避けたい。
子供じゃないんだから、今、このときのためだけになんて生きられないけれども。
でも、子供みたいになることが、理想的な生き方ということになるのだろう。

 

映画を採点:『さよなら、僕のマンハッタン』★★★☆☆

(ひさしぶりに採点したから基準を忘れた。まあまあ面白かったということ)