たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

インターネット上にある津波の映像をたくさん見た。どうして好きこのんでそんなものを見ているのかと考えてみると、津波というものに目が吸い寄せられて、それに魅せられているのだと気づく。


以前、はじめて本格的な登山をしたときに、巨大な山のなかで道に迷い、雷が近づいてきて、自然のまえでは自分があまりにもちっぽけだということを思い知らされて本気で恐怖におちいり、パニックになったことがある。それは、ぼくにとって今でもとても重要な経験である。


あるいは、「死=永遠」というものについて考えるときの圧倒される感じ。


自分が、あるいは人間が、いかにこの世界というもののなかでちっぽけな存在か、ということを味わうことで、なにかに気づかされる感じがする。もう少し謙虚になれ、ということだろうか。よくは整理がつかない。人間の生活の利便性ために原子力発電なんてものに突き進んでいく姿勢が謙虚でない、ということがいいたいのだろうか。そうつなげると嘘くさい。ただ、死とか、自然とかいう、とんでもない巨大なものがすぐ身近にあるのだということは、いつも味わいながら生きていたい。

近代以降の文化が、死とか、自然とかいうものを人間から遠ざけて、見えなくしてきた、ということはよく言われることだけど、今回の地震津波は、そこにぬっと、突然現れて、その異様な姿を見せつけた。