たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

タイトルのぶっきらぼうな感じにそぐわず、丁寧に書かれた上質な小説だった。


あこがれの建築家、村井俊輔の設計事務所に勤めることになった主人公が経験する仕事や恋愛、日々の暮らしが描かれる。
設計事務所で働く日々のディテールを通して書かれる建築というものの奥深さがまず興味深いし、
同時に、軽井沢の歴史、村井俊輔という建築家の人生、主人公の過去などが複雑に交わってきて、単純に小説を読むよろこびを感じた。
それに、恋愛の生々しい感じ(まあ、男性視点のファンタジーではあるけど、それは作者だって承知のうえだろう)も、よかった。


早稲田大学教授の石原千秋という人がインターネット上でこの小説について悪口を書いている。

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石原:ロマンスも用意されているのだが、なぜか読書の悦びを感じない。
   こう言っては身も蓋もないが、文体に躍動感がないのだ。かといって、しっとり感もない。
   説明を読まされているようなパサパサした趣なのである。


石原:この人は何か大きな勘違いをしてはいないだろうか。
   小説の文体は「事実」を伝えるためにあるのではない。「事実」を創り出すためにあるのだ。
   しかしこの小説の文体のうしろには、何か「事実」があるように読めてしまう。
   それが説明のような停滞感を生み出してしまうのだろう。

石原:明治期の小説は、進化論と写真というテクノロジーに翻弄(ほんろう)され続けた。
   特に明治時代の小説家は、写真が映し出す「世界そのまま」を文体の躍動に変えるのに腐心した。
   静止画像のリアリティーでは勝ち目がないことがわかったからである。
   そのことに改めて気づかされた。

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「文体の躍動」ねえ。そりゃあ、そういう良さの小説もあるだろうし、この小説はそういうタイプの小説ではないだろうけど、だからって、こんなにはっきりと否定するその悪意はどこからくるのかと不思議だ。


たしかにまったく実験的ではないし、古いタイプの小説と言えるかもしれないけど、
そんなことは作者だって分かって書いているのであって、
たとえば、カズオ・イシグロの『日の名残り』なんかを連想するのだが、
あえて古い感じの小説を丁寧に作ることの意味はあるなあと思わせられる。


この主人公が尊敬する建築家村井俊輔が、もっと不気味に描かれたりしたら、少しは現代っぽくなったかもしれないけど、むしろそんなふうにするほうが下品で、文体上でも物語上でも、そうした逸脱をまったくせずに落ち着いた歩みをするあたりが、「大人の小説」という感じで、貴重だと思う。