たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

今更かもしれないけど、ヴィレッジヴァンガードが楽しくて、気づくと至るところに店舗ができているから見かけるたびに入って、しかも同じ店に何度も行ってしまう。
おどろくのはそこに置いてある本のチョイスで、ときどき、「この本を薦めるなんてすごい!」という本が飾ってあったりする。最初は「本も置いてある雑貨屋」だと思っていたら、もともと「遊べる本屋」というコンセプトで始まった店らしい。あの本のチョイスはだれがやっているのだろう。今でも創業者の菊地敬一という人がやっているのだろうか。


ジャングルめいたゴチャゴチャする店内をうろついていると妙な熱気みたいなものが伝わってきて、おもわず購買欲に火が付いてしまう。雑貨を買ったことはほとんどないのだけれど、本は思わず4、5冊を衝動買いしてしまったりする。
前々から、本がおいしそうに見える本屋と、まったく買う気にならない本屋があると感じていたけど、何がポイントかというと、本を並べている人が本が好きかどうかだということに尽きるのだろうと思う。
ツタヤとか、国道沿いとかにあるフランチャイズの本屋とか、うんざりするのは、新刊と売れてる本しか置いてない点で、本屋というのが情報を売る場であるということを分かっていないのだろうか?と不思議になる。
あるいは人々が欲する情報とは、みんなが持っている情報、でしかないのだろうか? ベストセラー本の売れ方をみると、本気でそうらしい。
自分も大衆のくせに「衆愚」という言葉を連想してしまう。


そんなヴィレッジヴァンガードで買った本の一冊が会田誠の『青春と変態』。会田誠は日本の現代美術家の代表としてよく紹介されるけど、変に芸術に色目を使わず、純粋に自分の変態的な嗜好を表現しているような潔さがすばらしいと思っていた。で、どんな本かと手にとってパラパラめくって、その変態ぶりと思春期の初々しさの融合にその場でくらくらした。日記という形態をとった(日記の筆者=主人公の名前も会田誠)女子トイレを覗く男子高校生の青春物語。
「青春と変態」というテーマで思い出すのは、喜国雅彦の『月光の囁き』というマンガだ。これも青春漫画のさわやかさによって変態というか、結局はSMを描いていて、感動した。
変態に限らず、ものごとというのは、たいてい、それに応じた色眼鏡によってとらえられていて、たとえば変態を描くには、それらしいエロ小説的な枠組みとか、あるいは犯罪小説的な枠組みが採用されてしまっているものだ。
絵画でも、自分の視点で絵を描くなんてことはほとんどの画家はできていなくて、たいていは他の画家の視点を採用することでしか対象を絵にすることはできない。
重要なのは、いかにしてその視点=色眼鏡=枠組みを外すかということだと思う。
『青春と変態』の感動的な点は、それができているところなんじゃないだろうか。