たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘


模擬試験の監督をしながら、ティム・オブライエンの『世界のすべての七月』を読んでいた。
『本当の戦争の話をしよう』もそうだったけど、これも、じんわり心に届くいい小説だ。
大学の同窓会に集まってきた50代の人々の、現在と過去を交互に描いた作品。
いろいろな人物のいろいろな人間関係といろいろな会話が錯綜して、そのどれもが、「人生」というものを強烈に感じさせる。


世界を認識する際に、どのような時間感覚をもとにするかで、世界のありさまはだいぶ変わってくる。
たとえば、今現在に没入しているとき、人は、「人生」なんて辛気臭いことを考えずに世界を楽しんでいる。
逆に、「無常観」的というのか、永遠の時間を基準として、人間的な時間なんてすごくちっぽけなものだと考えるようなときには、世界は神秘的な様相を帯びる。
そして、もっとも人間的な時間、すなわち、10年とか20年とか30年とか、のスパンで世界を見る視点がもっとも「人生」を感じさせると言えるだろう。鬱になる視点。


そういう意味で、同窓会というのはずいぶん典型的な設定で、そこに正面から切り込んで、しかも下品になっていないというのは、才能だ。
ひとうひとつのエピソードとか会話とかに、登場人物の「奥深い部分」が表れている。


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かってにそう感じているだけかもしれないけど、昔と比べて、人の本質をすぐに見抜けるようになった気がする。
特に、いやな面。あっ、と思う。見てしまった、と。
あるいは、こんなに露骨に本性を出してしまっていいのだろうか、とか。
勝手な思い込みだろうか。そういう色眼鏡で見てしまうようになっただけか。
とにかく、人間関係において幻想を持ちづらくなった分、きっと昔よりも偏狭な人間になっているのだろうと思う。我ながら。