たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

映画『潜水服は蝶の夢を見る』

ユーモアというのは、単なる笑いのことではなくて、生きる姿勢のことである。


実話をもとにしたフランス映画。雑誌『ELLE』の編集長をしていた主人公が、突然脳卒中かなにかで意識を失い、目覚めると、全身麻痺の状態になっていた。世界とつながっている唯一の部分は左目だけ。まばたきを利用するコミュニケーションによって本を執筆。それがこの映画の原作『潜水服は蝶の夢を見る』である。……というと、ほんとにくさい映画を想像するのだけど、全体にただようユーモアによって、理性的な大人の作品になっている。


フロイトがユーモアについて書いた文章があって、そこではユーモアについて、大人が子供に対するような態度で自分自身に対すること、すなわち、「おまえにとっては重大事だろうが、大人からすれば大したことではない」と考える姿勢のことだというようなことを言っていた。
潜水服は蝶の夢を見る』の主人公ジャン=ドミニックも、「自分の人間性を失わないために」、「もう自分の憐れむのはやめにした」と決意し、ユーモアによって、全身麻痺の肉体に閉じ込められた今の人生を生きようとする。


いい映画の条件はもう一度観かえしたくなること、だと思うのだけど、この作品もそうだった。一度目は、「こんな悲惨な状況にならずにすんでいて、今の自分の当り前の日常は幸福だなあ」などと思って観ていたのだが、二度目に観たときは印象が違っていた。自分の肉体に閉じ込めたられた状態(Locked-In syndromeというらしい)で過ごす日常自体が、それでもなお、かけがえのないものに思えてくるのだ。


この映画の中には、印象的なシーンがいくつもあって、それは決してドラマティックであるからではなく、そこに何らかのリアリティ(つまりそれをきっかけにしてなお世界が広がっていきそうな部分)があるからだと思う。
中でも一番気になるのは、主人公を見舞いにくる白髪の男性だ。
ジャン=ドミニックが飛行機のチケットをゆずったがために、偶然にもハイジャックに巻き込まれ、人質として4年間も地下の牢獄で過ごした人物である。
見舞いにきた彼は、暗い牢獄で自由を奪われ、暴力をふるわれる年月のなかで、正気を保つためにワインの銘柄と年代をずっと思い出していたこと、それによって人間性を保つことができたことを話し、生き延びるためには「人間性を保つことだ」とアドバイスする。
こう書いてもうさん臭いだけなのだけど、短いそのシーンから、その人物の生き方が魅力的であることが分かるような気がした。


前に、一青窈について考えたのと同じ、その人物を見るだけで、生き方について学びとれるような感じ、を受けた。
もちろん、その人物は単なる俳優なのだろうから、そんなふうに感じるのは錯覚に違いないのだけれど(あるいは、その俳優が魅力的だということかもしれない)、錯覚でも何でも、そこからぼくが何かを発見できそうな気がしたこと、つまり、ぼくの頭の中で何かが起こったことはたしかだ。
でも、それが何かはうまく言葉にできないし、一瞬で通り過ぎてしまって、じっと見つめることのできないような感情だ。


んー。まっとうに世界を見ようとする姿勢、という感じだろうか……。「まっとう」とは何か。偏見がないこと。でもそれだけでもないだろうし。よく分からない。


映画を採点:『潜水服は蝶の夢を見る』……★★★★☆☆