たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

映画『新選組始末記』

実は「新撰組」物は、読むのも見るのも初めてで、以前からぼくは、人々がその歴史=物語のどこに惹かれるのかよく分からないと思っていた。


で、新撰組物の小説と映画に触れてみて、今の段階でいえば、その魅力はやっぱりよく分からない。原因は、おそらくこの小説と映画にある。と言ってもこの二つの作品はかなりすぐれたものだと思う。ただ、これらはともに、ロマンがないというか、歴史を美化するまいという態度によって描かれているので、土方歳三かっこいい!というような気持ちには、あまりなれなかったということだろう。ここから新撰組の世界に入ってしまったからには、今から他の作品で新撰組がかっこよく描かれていても、ぼくはきっとそれに浸れないだろう。


榎本武揚』は、SFというかカフカ的というか、そんな感じの安部公房の異色作として評価が高いので読んでみたのだけど、たしかにおもしろかった。この作品の魅力は、視点人物として登場する浅井という男から歴史や人物(土方歳三とか、榎本武揚とか)を見ることから出てくるリアリティにあるのじゃないだろうか。つまりは、すべてを客観的に記述してしまう教科書とは正反対の位置にあるということ。ある視点から見たその時代とは、暗闇で象をなでるようなもので、全体がどうなっているのか、さっぱり分からない。だけど、それこそがリアリティというものだ。


榎本武揚』で新撰組に興味を持って、映画かテレビドラマの新撰組物を見てみるか、と思ってツタヤに行ったのだけど、たとえば三谷幸喜脚本で香取慎吾主演のNHK大河ドラマ新選組!』は、放映中にちらっと見てうんざりしたし、いくつか置いてあった映画もなんだかパッケージを見るだけでげんなりしてしまった。その中でなんとなく一番ましな気がしたのが、市川雷蔵(古い!)主演の『新選組始末記』だった。予想はおそらく当たっていた。主人公の妻の視点が重要で、彼女は新撰組を単なる殺し屋集団としか見ていない。その視点が映画全体に行きわたっていて、新撰組が決して美化されないのだ。実際こんな感じだったのかもしれないなあと思いながら見た。


歴史は物語である、というのはまあたいていが認める見解だろう。でも、そんなふうに割り切りつつ時代劇とか大河ドラマとかを楽しむ人も、けっきょく美しい物語=嘘を求めるのだよなあ、と、一度も大河ドラマをちゃんと見たことがないくせに、思う。とても見てられない。くさすぎ。
くさくない、というだけで、その時代劇にはかなりの価値がある。


映画『新選組始末記』……★★★☆☆☆