たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

金井美恵子の『目白雑記』がおもしろかったので、買ったまま放ってあった『重箱のすみ』や、新たに買った『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』といったエッセイ集を読んでいる。


どちらも、『目白雑記』よりも前に書かれた文章が主のようで(ちゃんと確認してないけどおそらく)、『目白雑記』ほどおもしろくない。もしかしたら精神的に調子がよくなかった時期なのかもしれない(本人も更年期障害みたいなことを書いていたおそらく)。もちろん、この人なりの視点があっておもしろいのはおもしろいけど、『目白雑記』では、文章の勢いが爆発していたから、それに比べると見劣りするというだけ。


この人は、「意味付け」みたいなものが嫌いなのかもしれない。「権威付け」というか、生活から遊離してしまっている抽象的な何かが、とことん嫌いみたいだ。だから映画が好きなんだろう。それも、何かを表そうとしている映画ではなく、具体的なものとして画面に表れているものの価値を理解している人の作った映画が。


小説の好みもそれに似ている感じがする。この人は悪口は言うけど人をあまり誉めないから、数少ない例から考えるしかないが、おそらくそうみたいだ。それは、福田和也(この人も金井美恵子に悪口を書かれている)が書いた『作家の価値』という本と対照的な価値観だ。福田和也は、深遠な何かを表せているか、で小説の価値を決めようとしている感じ(かなりおおざっぱな言い方だけど)。金井美恵子が好きなのはフロベールで、福田和也が好きなのは石原慎太郎で(右翼つながりというだけなのだろうか)、変な比較だけど、つまり、そういう違い。


ぼくはどちらの価値観も分かるのだけどなあ。すべての小説が両方の要素を持っているべきだ、などとは思わない。どちらかに偏って当然だと思う。でも、どちらも一つの価値観に過ぎないと思ってみることも大事なのじゃないだろうか。だいたい、金井美恵子福田和也の対立(二人とも小説の好みを表す一つの例に過ぎないけど)は、リアリズムとロマンティシズムの対立というだけのことではないだろうか。どちらにも良い作品と良くない作品があるというだけ。


まあ、でも、好みや価値観が偏っていてそれを頑として譲らない人の方が、迫力があって、文章もおもしろいのかもしれないけど。