たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

ずいぶん前に買って、ちびちび読んだいたせいで、読み終わったのだかまだなのだか、よく分からなかった中沢新一の本を、読み終えた。


「知的な本」というのは、意外と貴重で、むずかしいことを言っていたり、たくさんの知識を披露していたりする本はたくさんあるけど、読んでいてページからじんわりと知的な雰囲気が漂ってくる本はそう多くはない。『カイエ・ソバージュ〓 人類最古の哲学』は、そういう本だった。


かなり具体的に様々な神話について言及していて、それほど神話に興味のあるわけではないぼくにとっては、つまりは「どうでもいい情報」であるはずなんだけど、読んでいると、その知的な雰囲気に心地よい時間を過ごすことができてしまう。


知的な雰囲気とは、書いている本人が知的な欲望を感じていることによって生まれるもので、そんなふうな著者はそれほど多くはないということだ。浅羽通明の『野望としての教養』を読んでいるときも知的な雰囲気に浸ることがおもしろさの中心だった。重要なのは、知識ではなく、読んでいる者が、その知的な欲望に感染できるかどうかだ。


ということは、小説においても、書くものが楽しんで書いていることが、重要だということになるのかもしれない。そんな結論はいまさらおもしろくもなんともないかもしれないけど、ぼくとしては意外と新鮮にそう思う。


実際、自分が楽しいと思って授業をしていることが、いい授業の第一の条件だし、自分が楽しいと思ってセックスをしていることがいいセックスの条件だ。