たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

生活の中には地味ながらもボディーブローのようにじわじわと効いてくるつらいことがあるもので、つきつめていけば自分の価値を疑ってしまうようなそういう出来事を重ねて、完璧ではないけれどもまあ味わいのある人生というものを作っていくのが大人というものではないかと、40歳も近い今頃になってそういうことを改めて考えるのもどうかとも思うけど、ヒシヒシと感じる。


今ではだいぶ改善されてきたものの、ぼくは躁鬱気味なのか一日の中でも感情の起伏が激しい方で、相変わらずそれを制御するだけで精いっぱいのところもあるのだが、大学時代など躁気味のときには自分が天才だと本気で信じ込んでいて、何かの拍子に挫折を味わうとそこから自分の平凡さに気づくのではなく、ただ頭を混乱させたままドロドロとした鬱の沼に沈んでいった。


昔から例えばスーパーマリオで1upキノコを取り損ねたらリセットボタンを押してしまうようなところがあり、つまりは完璧主義とうらはらの弱さを抱えていたわけだけど、天才と落ち込みの間で激しく行ったり来たりしていた若いころのぼくは、リセットボタンを押したくてもこれしかない人生だからリセットできなくて訳がわからなくなっていたということなのだと思う。


今では、天才でも完璧でもない失敗だらけで恰好悪い自分に落ち込みつつも、それを仕方がないと受け入れて生きていくことが、以前よりはできるようになった。とか、書いているうちに落ち込みからもだいぶ脱した。むしろ味わい深い小説や映画がそうであるようにつらい出来事があるくらいの方が人生も味わい深い、と、単に夜中の楽天的な頭だからだろうけど、思う。