たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

いつもながらに社会生活はつらい。気を張って生きなければならないからだ。
気を張るのは、自分を自分以上に見せようとするからだろう。
あるいは、失敗をしたらまずいからだ。
どちらにしても関係しているのは、プライドだと思う。


プライドとは自分の価値を高く保とうとする気持ちのことだ。自分に価値がない、ということを認めるのは、つらい。
こんなふうに考えているのも「自分」だから。
それに、自分の価値を高めるという以外に、この人生における本質的な楽しみがあるだろうか、とも言える。


ありきたりな論の展開だけれど、ポイントは、自分の価値を何で決めるか、だろう。
他者の評価によるのか、自分自身の評価によるのか。
もちろん、人間は他者との関係によって成り立っているわけだから、他者による評価を完全に避けることはできない。
でも(ありきたり、かつ、つまらない結論になりそうだけど)、問題はバランスだ。
仮に、自分の価値を決定するための基準を完全に他者による評価に依存した場合、他者に振り回されるだけで、どう行動するかについての自分の判断なんてなくなってしまう。これに近い人はたくさんいる。
逆に、他者は完全に無視して自分自身だけで自分の価値を決定した場合、それは単なる狂人になってしまうだろう。


ポイントは、どういう他者による評価を自分の価値の基準とするか、である。
すなわち、自分の価値判断を作るまえに重要なのは、自分が好きな、あるいは、尊敬する、人物像をはっきりさせることだ。
そして、その人物が(実在の人物でなくてもよい。過去の人物とか、虚構の人物とかでも)、価値を認めてくれるだろうということを基準として
自らの行動を決定していくことが大切なのではないだろうか。
ロールモデル」というやつ。


と、考えていくと、やっぱり疲れる。ほんとはすべてどうでもいい、という感じで考えようと思ったのに。基本的にまじめなのかもしれない。
あるいは、自分に自信がないのだろうか。
自分の価値、なんて考えずに、その日その日をのんきに生きている。そういうものに、私はなりたい。