たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

たんに面白いだけではなく、「これは自分にとって特別な作家だ」と思わされる作家がいる。
読者は「この作家は自分と似ている」と思ってしまう。
サリンジャーとか、村上春樹とか。


ポイントは

 1.主人公が生きづらさを抱えている。

 2.しかし一方で周囲のくだらない人間を軽蔑する視点をもって生きている。

ということだ。


たいていの人間は生きづらさを抱えているものだから、そうした作家が読者に送ってくる
「まわりはくだらないやつばっかりだよな。きみなら分かってくれるだろうけど」
という目くばせにやられてしまう。


もちろんそれだけではない。
そのうえで大切なのが

 3.主人公が魅力的である。

ということ、だろう。
読者が、主人公(あるいはその背後にいる作家)の仲間になりたい、と思うことでカルト的作家は成立する。


単純化してしまえば、ジョナサン・キャロルもそういうタイプの作家だ。
しかも、エンターテインメント小説のような体裁でありながら端正な文章、
印象的でなまなましいエピソードによって、とても上質な小説になっている。


もう一つの特徴――一般的にいえば、ファンタジー的要素。それこそがジョナサン・キャロルたるゆえんなのだろうけど――については、ぼくは個人的にはあまり好きでなかった。
カフカのように「奇妙さ」が宙ぶらりんで放り出されるようだったらいいのだけれど、ある意味、「オチ」がついてしまうような決着のつけ方がつまらない。


そうは言っても、とにかくとても楽しく充実した読書経験で、ぼくにとってもジョナサン・キャロルは、「特別な作家」――生きているといつも身近に寄り添っているような存在――になりそうな感触がある。