ブログに神秘主義というタイトルをつけたくせに神秘についてほとんど書いてない。
神秘というほど、かっこいい生き方をしてないから、たらたらをつけたわけではあるけど。
いつも人生の本質というか、世界の本質みたいなものに関心があった。
ほとんどのことはどうでもいい。あるいはすべての物事の向こうには大事なものがある、みたいな。
じぶんの、かっこ悪い生き方と、神秘みたいなものとに折り合いをつけることはできるのだろうか。聖者みたいには生きられないし、生きる資格がない。
もちろん、神秘なんてものは幻想にすぎないかもしれないわけで、だから僕は宗教というものを信じてはいなのだけど、それでも、その何かをみないで生きたら、生きている意味がないだろうとも思っている。宗教を馬鹿にしてはいない。宗教という形でしか、本質についての思考に触れることはできないのかもしれないとも思っている。
しばらくそういうことを考えることから遠ざかっていた。またぶり返したのは寒くなったからかもしれない。
寒さに生命の危機を感じた肉体が、いのちについて考えたくなっているのかもしれない。
先日同僚が突然病気で死んだ。今朝は次々と自殺する若者たちという夢を見て目覚めた。そのあと車で実家に向かう途中で実家の近所の方から僕の一歳下の幼なじみが死んだという電話があった。
暑い夏がまたやってきて、何も考えずに釣りをしたい。
生命があふれて、あふれて、魚が釣れすぎて困りたい。