悟りを開いた。
おそらく先月(2022年2月)、いままで分からなかったことが分かった。
ずっと悟りに興味を持っていて、初期仏教に関する本を読んだりしていたのだけど、分からなかった。たとえば、座禅とか瞑想とかをなぜするのかもピンとこなかった。
それが、分かった。分かると、悟りというのはそれほどすごいことではないことも分かった。
これから何回かに分けて、悟りを開いた経緯や、悟りを開くというのがどういうことなのかについて書いてみようと思う。
まず、悟ったことで、どのようなことが起こったのか。
(ただし、悟ってみて分かったけど、悟りというのは、いったんそうなればもう後戻りしないというものではない。今の感じとしては、飛び方は覚えたけど、いつも羽ばたいていないと気づけば地面を歩いていた、みたいな感じ。)
1.いままでいつも抱えていた「こんなことをしている場合じゃない」という焦りがなくなった。
これが大きい。なぜかというと、人生の価値が一変したから。
僕は以前から、人生を夏休みにたとえて、どうしたら充実した夏休みを過ごせるか、と考えていた。しかし、実際の夏休みはスルスルと過ぎていき、途方に暮れながら日々を見送るばかりで、焦っても時間を止めることはできなくて、無力感を感じるばかりだった。それが、分かったのである。悟ることで、すべてが変わった。いつも充実しているようになった(ある意味)。
2.人間関係によって感情を振り回されることがなくなった(?)。
実際には、いまでも振り回されることはある。だけど、それ以前とはまったく違う。心の奥に、確かなものがある。波立っても、すぐに収まって、平穏な心の状態になっている。
3.緊張することがなくなった。
これは悟りを開いてすぐに気づいた変化で、それ以前はたとえば司会をするという仕事のときに妙に緊張していたのが、ほとんど緊張しなくなった。
4.常に機嫌よくいられるようになった。
それまで、体調や天気や人間関係やいろいろなものによって、基本的に不機嫌だったのが、上機嫌がベースになった。
5.「休日の夕方ブルー」がなくなった。
これは、「1」から必然的に出てくる効果なのだけど。いままでは休日の夕方になると、明日から仕事かあ、という感じになって、憂鬱になっていたのが、なくなった。
6.人との会話がしやすくなった。
なんとなく、軽快になった。エゴを前提として話さなくなるので、必然的に気をつかわなくて済むようになったのだと思う。このへんはもう少しちゃんと考えてみたいけど。
以上、とりあえずの報告。