たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

俳句と悟り

1ヶ月くらい前から、2日に一度、俳句を作っている。いい句を作ろうとするためというより自然を感じるためである。

悟りを開いてからしばらくして、もとにもどってしまったという感じがした。もとにもどったといっても、もとにもどったと思えるということは完全にはもとにもどってはいないということで、その後も精進を続けている。

悟りを開くことと自然を感じることはけっこう関連が深いと思っていて、俳句というのはそういう意味で悟りと親和性が高いのではないだろうか。季語というのも、うざいようなものだけれども、自然とのつながりをいちいち意識する装置としては納得できる。

逆に悟りともっとも親和性が低いのが小説で(下世話がおもしろさだから)、では詩はどうなんだろう?

ハイウェイの葉群れ騒いで夏の中  2022/06/21

かなしき日信号モワッと夏の暮れ  2022/06/28

夏の夕川しずまりて山映す  2022/06/30