大学生のころ、「人生」という言葉を頭に浮かべるだけで、鬱になれた。
それからずっと、いつも焦っていたような気がする。いつも、「こんなことしている場合じゃない」と思って生きてきた。
「人生」などというのは、あたりまえだけど、自分の頭のなかで勝手に作ったフィクションでしかなくて、でも、「人生」を充実させなくてはいけないと思ってきた。
人生を充実させるためには、刺激が必要だと考えたり、向上することが人生の目的だと考えたり。とにかく、人生というフィクション病にかかっていた。
だけど、刺激を求めれば、必然的に刺激のない時間が苦痛になる。向上していない自分に苛立ちがつのる。
逆に、今、このときに生きるということだけが事実だ。それ以外の「人生」も「自分」というストーリーも、フィクションに過ぎない。
不完全なままでもいいと思えるということだろう。自分も、この状況も。
まえよりもそう思えるようになった。そのことと、今、この瞬間がかんぺきと思えるということがイコールだ。
人と関わると、その相手が物語を背負っているから、それに引きずられる感じがあるけど、飲み会でトイレに行って小便器に向かっているときみたいに、時々「今、このとき」に安らぐことを意識していこう。