たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

仕事ばかりしていると、思考が効率の良さだけを求めて固定化してしまう感じがして不愉快だ、と思っていたけど、
思考がそんなふうに貧しくなるのは、別に仕事について考えているから、ではないのではないか、と気づいた(気がする)。
問題は、「何について」考えるか、ではなくて、「どのように」考えるか、であって、
たとえば、哲学的問題について考える、も、アートについて考える、も、仕事について考える、も、対象はなんでもよいのではないか、ということだ。


しばらく忙しくてあまり本が読めなかった反動で、週末にずいぶん本を買ってしまった。
堀江俊幸『熊の敷石』(講談社文庫)
川上弘美『夜の公園』(中公文庫)
吉村葉子『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』(講談社文庫)
吉本隆明『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』 (だいわ文庫)
保坂和志『羽生―「最善手」を見つけ出す思考法』(知恵の森文庫)
保坂和志『小説、世界の奏でる時間』(新潮社)
スコット・バークン『アート・オブ・プロジェクトマネジメント』(オライリー・ジャパン
アービンジャー・インスティチュート『自分の小さな「箱」から脱出する方法』(大和書房)
荻原和歌酒肴道場』 (王様文庫)
など。
斜め読みで目を通しても結構刺激を受けるからそれでいい、と思っていると、けっこう忙しいなりに読書も充実する感じがする。


吉本隆明の本では、ひきこもりという状態がいかにまっとうかという話をしているけど、たしかにその通りと思う。
河合隼雄(もう死んじゃったけど)や吉本隆明みたいな「老賢人」的なおじいちゃんが「ひきこもり」擁護みたいなことを言っているのを読むのは楽しい。
世の中、ある一つの価値観が主流になると、それが当然みたいなでかい顔をするけど、そういうときは、なるべく長いスパンで物事を考えたい。ひきこもりのせいで学校に行けなくても、仕事につけなくても、貧乏になったりホームレスになったりしても、死ななければ(死んでしまうのはやめたほうがいいと思う。せっかくこの世という変なところにやってきたのだから。だから吉本隆明も言ってるけど心の病気だったらちゃんと医者に行ったほうがいい)、どうでもいいじゃないかと思う。


ひきこもりで学校に来られなくなってしまった生徒を担任したことがある。おもしろい人物だったので、家に行っていろいろと話をしたのもけっこう楽しかった。学校に来なよ、というようなことを当然言ったけど、まあ当然そんなことでは効果はなく、転学していった。この前、ばったりとその母親に会って話を聞いたら、就職もせずにコンビニのアルバイトをしているということだった。でも、まっとうに人生を歩んでいる多くの人よりも彼の方が人間としては豊かであるだろう点からすれば、何が良いことで、何が悪いことか、は、かなり難しい問題だと思う。
だいたい、不幸せであることが、悪か、だって分からないわけだし。