たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

この本ほどに、重要なことが書いてある本はめったにない。
著者は、さまざまな分野の研究に携わった人のようで、その人らしく、多様な分野の多様な人々の著書を参照しながら、「大切なこと」について考えている。


この本の魅力をあらわす部分を引用する。

最初に、古賀徹という人の「序」から。

倫理学の決定的な盲点とは(中略)倫理学に従事する者がそれを読み述べ書くことで自己の生活を少しでも変えたのか、という一点に尽きる。学会発表のあと、この質問をフロアーから発すれば失笑を買うことは間違いない。『なんだよその素人臭い質問は?』とそこにいる全員が思うだろう。だがその反応は、まさに本書が指摘するとおり、学がその盲点を突かれたときの典型的な反応なのである。」

次に、第二部「合理的な神秘主義」から

「私は子どもの頃から、自分のやっていることが、果たして本当に正しいと言えるのかどうか、ずっと不安に思っていた。それゆえ、私は、自分の行為の正しさの確実性の根拠を探し求めていた。この探求は、大学に行ってからもずっと続けていたが、いくら考えても、正しさを決める根拠がどこにあるのか、全然分からなかった。」

こんなふうに、さまざまな思想を横断的に俯瞰しながら、自らの生き方と本気で重ね合わせるような本は、意外となかった。


ところで、「人は、いかに生きれば、正しく生きることが」できるのかという問いへのこの本における答えは、どのようなものか。
それは、本書のタイトル「合理的な神秘主義」、それからのこの本を含む叢書の名前「魂の脱植民地化」という言葉が象徴している。

簡単にいうならば、
(1)この世は、何が正しいかを論理的に決めるにはあまりに複雑で予測不可能である。→神秘主義
(2)であるから、何が正しいかを判断するためには、世界に対する、そして他者に対する自分自身の直観によらなければならない。しかし、それを阻害するのが、幼少期の親の育て方によってついた「魂の傷」である。その魂の傷から目を背けず、自らを治癒し、成長することによって、直観=真の智慧に到達する。→魂の脱植民地化

というものである。

こんなふうに要約すると、かなりうさん臭い本みたいだけど、著者はうさん臭いとかいう照れをなくして本気で学問しているし、読んでいる僕も、こんなに大切な学問があるだろうか、という気になる。


『合理的な神秘主義』の第一部の最後、「魂の脱植民地化」の中で、著者は次のように述べる。

「私は『魂の脱植民地化』という観点から、過去の人類の知識を渉猟する作業を始めた。初めてすぐに気づいたのは、これは人類の智慧を隠れたメインストリームである、ということであった。というより、大抵の偉大な人物は、必ずといって良いほど、『魂の脱植民地化』のモードを持った人なのである。ところが、面白いほど確実に、そういった偉大な人物を『継承』する人々が、その人物の思想や言説を用いて、新たな『魂の植民地化』のシステムを作り出す。それゆえ、教科書的に整理された知識は、魂の脱植民地化のモードが混入しないように、慎重に作られている。そのような知識とは呼べない知識モドキを前提にすると、『魂の脱植民地化』というのは、何かとんでもなく突飛なことのように見える。しかしそれは、単なる勘違いに過ぎなかったのである。」


「魂の脱植民地化」とは、これも簡単に言えば、

人間本来の直観を働かせることができる、自由な生き方を手に入れること

と、なるだろうか。
そしてこれは、正しく生きる、ことだけでなく、幸せに生きることにもつながっている。


著者のいうように、「お勉強」としての思想には、なんの魅力もない。むしろ権威主義的な頑なさを感じる。それに対して、この「脱植民地化」という視点から光を当てられた思想家は、どれも輝いている。本書に挙がられた偉人の中でも特に有名なところでは、

 孔子仏陀ソクラテススピノザマルクスフロイト、ラッセル、ヴィットゲンシュタイン、フロム

など。


もう一冊、同じ安冨歩による『生きる技法』という本もおもしろかった。
自らの生き方と過去を生々しく吐露しながらの、具体的かつラディカルな「生きる技法」は、妙な説得力があって、本気が伝わってくる。
世にあふれるライフハックとは一線を画す。