たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

ドラマ『LOST』にはまっている。
今日はシーズン1の6巻を借りるはずだったのだけど、すべて借りられていて、ほんとうにがっかりした。6巻をとばして7、8巻を見てやろうかと一瞬思うけど、やめた。


無人島に飛行機が墜落し、生き残った43名が島で生きていく話。昔からぼくは無人島ものが好きで、『ロビンソン・クルーソー』とか、『十五少年漂流記』とか、ゴールディングの『蝿の王』とか、池澤夏樹の『夏の朝の成層圏』とか、映画では『キャスト・アウェイ』とか、それから、新潮OH!文庫の『無人島暮らしの手帖』という韓国の本もおもしろかった。とにかく、どれも無人島とというだけでわくわくする。


どうして無人島にひかれるのか。

そこが完結した一つの世界を形成しているからだと思う。たとえば、長い小説を読むことの楽しさとして、「本を開けばその世界に戻っていける」という感覚がある。無人島は、その「世界」というものがすでに限定されているせいで、いっそう、虚構世界に入っていくことの安心感があるのではないだろうか。

それから、「サバイバル」的要素も無人島にひかれる理由の一つだ。文明社会に生きていると、便利なものが周囲にあふれているけど、便利な分、「生きる」という手ごたえが希薄になる。無人島の何もない状態の中で、人はどのように生きていけるのかという状況に興味がある。今の段階では『LOST』というドラマに、この要素はあまり多くないけど。


ただ、『LOST』に関しては、無人島ものとしてのおもしろさだけでなく、次々に現れ出てくる奇妙な問題、あるいは、島の中から噴出してくるように次々と現れる人や生き物などの要素、にもわくわくする。それは、「無意識」というものの中から夢として湧き出てくるさまざまなモチーフという感じで、妙になつかしさをそそる部分がある。

かっちりとしたストーリーが決まっているのではなく、こんなふうに、たとえば「無人島」というものから次々に飛び出してくる要素によって、物語がどんどん展開していくような小説を書いてみたい。もちろん「無人島」でなくていいわけだけど、そんなふうに人間の無意識と通じているモチーフが必要だ。