たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

7月30日から、毎日ノートをつけている。
岡田斗司夫の『あなたを天才にする スマートノート』という本の影響だ。
本からこんなに簡単に影響を受けるなんて我ながら軽薄なのだけれど、何日か、かなり楽しかった。


「スマートノート」の具体的な方法は「第1フェーズ」から「第7フェーズ」まであり、それぞれ少しずつ違う。
僕が実践している方法は、第2フェーズと第3フェーズの間、みたいな感じだろうか。
「スマートノート」に触発されて始めたものの、きちんとその方法どおりにやっているわけではないみたいだ。


 1.ノート(大学ノートでいいのだけれど、ぼくが使っているのはアピカのOfficial notebookという、縦・横に罫線が入った、つまり方眼のやつ)を用意する。
 2.見開きの右ページの上から、日付と、その日の自分の行動のうち、5つを箇条書きにする。(つまりこの段階では、左ページが空白になっている。)
 3.5つの行動それぞれに、1〜5で、点数をつける。
 4.右ページの下段には、その中の一つについて、具体的に書いたり、本の一部を引用したしたりする。
 5.左ページに、その行動のどれかに(たとえば読んだ本や印象深い出来事)に触発されて、考えたことなどをごちゃごちゃ書く。


「スマートノート」という、この方法の良さは、右ページから書きはじめるので、何も書かないと左ページが白紙になってしまう点である(と、岡田斗司夫も書いている)。
左ページがもったいないから何か書こう、という気になる。すると、もっともらしいことを書かねば、というプレッシャーから解放され、まあ、とにかくくだらなくてもいいから何か書こう、という気にさせる。


最初の何日かはおもしろがって、いろいろ書いたのだけれど、そのうち、忙しかったりして、何も書けずに翌日になってしまう日も出てくる。
もともと僕の脳の海馬は役立たずだとは思っていたのだが、前日のことさえ、なかなか思い出せないのには、すこし恐怖を感じた。
メメント』という傑作映画がある。10分間しか記憶が保てない主人公の立場を疑似体験するような作品だ。それを見て、「記憶という、考えてみればあやふやなものをたよりに、この世界を認識しているという点では、この主人公に限らず、みんないっしょだよなあ」と、感じた。
だけど、まさか自分もこれほどとは思わなかった。すべては霧の中、である。


『あなたを天才にする スマートノート』という本で斬新だったのは、ノートをつけるくせに、「記録」としての意味を重視していない点である。
ふつう、梅棹忠夫の『知的生産の技術 』なんかがそうだったけど、自分が書いたメモをあとでどのように検索し、利用するかを重視していた。
だけど、この本では、ノートに記録としての意味を持たせていない。やがて何かが創造されるための「膨大な無駄な書き込み」をするのだと書いている。その、ゆるい感じもいい。



「無駄」が「ゆたかさ」をもたらす。
だから、昨日とか、一昨日とか、普通に睡眠をとった後で、半日昼寝をしてしまう、というような日を過ごしても、その惰眠は後で何かを創造するための必要な無駄だと考えることにしている。
眠りすぎて、心臓は主人が生きる気がないとみなして機能を停止しそうな感じになるし、寝てばかりいるから脚がタコになる感じだけれど。