たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

  故郷


故郷の村は
掘割のような水路に囲まれた
一区画である。
周囲を一回りするのに
二十分もかからない小さな土地に
多くの家々が密集し
あいだを細く入り組んだ路地が
縫っていた。

  *

村に出入りするための
唯一の通路
北側の小さな橋を渡るとすぐに
ひしめく家々のなかに入り込む。
路地を歩くと両側に
人々の日常があって
大きく開け放たれた戸を
だれも閉めようとはしなかったから
村人の生活が
露骨なまでに目に入る。

  *

橋を渡って
すぐ右側の家には
ぼくより三つ年上の娘があって
小学校に入りたてのぼくは
いつも彼女に
手を引かれて通学した。
中学生になったぼくは
橋を渡るたび
家の奥でくつろぐ彼女を
うしろめたい好奇心で盗み見た。

  *

橋を渡って三軒目には
魚屋があって
ぼくはそこに並んだ魚の生臭いにおいと
自分の混乱した性欲を
なぜか結びつけて考えていた。
だから
見たこともないような
グロテスクな魚を見つけては
この魚はこの村にしかありえずしかも
ぼくの心の混乱が
こんな形で表れ出たのだと
なかば本気で
信じていた。

  *

村の東側に
行ってはならないとされる
区域があった。
幼いぼくはその路地を
「探検」と称して歩き回った。
そこにひろがる光景も
そこで出会う人々も
まるで異国のように新鮮で
ぼくの胸をわくわくさせた。
行き止まりの路地の奥
雨戸を閉ざした家の
小さな窓を覗き込み
向こうから
じっとこちらを見つめる目に
出会ったこともある。

  *

村で一番大きな家は
白い土塀に囲まれていた。
昔はこの村全体を敷地としていたという
その家には
さとこという一人娘がいたが
なぜだかだれも
さとこと遊ぼうとはしなかった。
彼女はいつも
年下の誠一を従えて
二人きりであそんでいた。
さとこは誠一に自分のあそこを見せているのだと
ぼくらは下品な噂をささやきあい
一人でいる誠一を見つけては
嫉妬交じりの罵声を
投げつけた。

  *

一人きりのさとこの後を
ぼくはずっと
つけていったことがある。
神社の森をゆっくりと歩き
社殿の階段にすわった彼女を
ぼくは植え込みの中から
覗いていた。
肌寒い夕暮れ時の
静かな境内のなかが
なぜだか特別な空間と
化していた。
中空を見つめるように
じっとしている彼女を
息を殺しながら見つめるうち
さとこはただの人間ではないと
恐ろしい思いにとらわれて
ぼくはその夜
悪夢にうなされることになる。

  *

故郷の村にはしかし
父母の姿がない。
我が家がどこにあったのかさえ
分からない。
ただ故郷の記憶だけが存在し
ときおりぼくの頭によみがえる。
あれは誰の
記憶なのか。

  *

村全体が燃え上がり
村を囲む水路が
オレンジ色に照らされている。
そんな記憶もある。
燃え上がる炎を見ながらぼくは
さとこはまだ
村の中に残っているのではないかと
妖しいときめきとともに
考えていた。

           020927