たらたら神秘主義

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映画『バートン・フィンク』

コーエン兄弟の映画『バートン・フィンク』を観た。


コーエン兄弟という名前は『ビッグ・リボウスキ』がおもしろかったから覚えた。
バートン・フィンク』の方が作品としては古いらしい。
バートン・フィンク』から『ビッグ・リボウスキ』への変化は、ものを作る人がこんなふうに変わるというのはいいなあと思わせる。
簡単に言えば、『バートン・フィンク』はシリアスで(どこか奇妙だけど)、『ビッグ・リボウスキ』はコメディーという違い。
でも、それだけではない。『バートン・フィンク』が何かを表現しようとして思わせぶりであるのに対して、『ビッグ・リボウスキ』はそういうものから自由に思える。
もちろん、『ビッグ・リボウスキ』も何かを表現している。でもそれは、映画として、映像として、観る者がおのずから感じるものとして表現されている。
それに対して『バートン・フィンク』は、何かを解釈することを強いる。
簡単に言えば、『バートン・フィンク』は疲れる。
何かを表現するための手段として映像が使われてしまっていて、純粋に観ていて楽しいと感じる場面が少ないのだ。


でも、かなり楽しい、いい映画だ。


……と思ったけど、翌日もう一度観ようとしたら退屈してしまった。
ビッグ・リボウスキ』の方が、明らかにずっと、すばらしい。
バートン・フィンク』は、カンヌ映画祭でずいぶんたくさん賞を取ったらしいけど、いまいち。
やっぱり、場面が何か(ストーリーとか意味とか)を伝えるための手段になったらいけない。


人生もそうだ(唐突だけど)。
どんなことを達成したかではなく、瞬間瞬間が輝いているかどうかで人生の価値は決まる。
と、確信した。



映画を採点:★★★☆☆☆