たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

細木数子六星占術とか江原啓之スピリチュアルなんとかとか、いくら科学が発達してもそういうのを信じている人とか半分信じている人とかがたくさんいるというのは、すごい。
詳しくは知らないけど、六星占術みたいにシンプルに世の中ができているはずがないし、江原啓之みたいにシンプルに魂だか何だかができているはずがないのに。


ただし、自分の運気が悪いなあと思うことはある。
それは心とか体とか(それらはもちろん切り離せない)の状態がなんとなく良くなくて、その微妙なバランスの崩れが自分を次々に良くない方向に導くというようなものだ。
だから、自分の状態には常に耳をすませていなければいけない。
そうしないとどんどんどんどん悪い方向に突き進むようなことになってしまう。
ぼくもバランスを崩しているときには、これでもかというくらいバッド・タイミングで悪い事が起きたりする。
原始時代でも現代でも、人間が(あるいは動物すべてが)生きていく上で大切なのは、けっこうそういう微妙なバランスなのだと思う。
それは見えないものに対する能力だから分かりづらい。
だけど、はっきりと能力としての差があるものだ。
たとえば、有能な人がそういう能力がないために駄目になったり、あるいは逆に、明らかに無能なはずなのにそういう感覚だけでこの世界をたくましく生き抜いていたりする。


あんまり関係ないかもしれないけど、運気について考えるとぼくが大好きなマンガ家の岡崎京子のことを思い出す。
かっこいいマンガを描くなあと思って次々と出される作品を楽しみにしていたら、だんだん作風が変わっていって、あっけらかんとした調子が影を潜めて次第に深く重く痛く鋭い方向に進んでいった。
むちゃくちゃかっこいいけど、大丈夫かなと思っていたら、交通事故にあってしまい、以来新作を読めていない。
なんというか、その事故に遭うという結末(終わってないけど)が、いかにも最後の頃の作品に出てきそうな感じだったのだ。
まるで、人生が作品に取り込まれてしまったようだった。


で、まとめ。
人生には流れがある。
その流れを見極める能力は、いわゆる才能とはまったく別のものだ。


で、運気が悪いなあと思ったら、どうするか。
早めに寝る!