たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

帰宅したのが明け方だったので、今日は一日中眠っていた。


夕方に目を覚まして洗車場に行って車を洗い、ワックスを塗る段になったら雨が降ってきた。
洗車場を管理しているおじさんがやってきて「雨がふってきちゃったな」と話しかけてくる。この人はぼくが洗車をしていると必ずのようにやってきて、洗車場を点検したり掃除したりしている。最初のときからまるで知りあいみたいに気軽に話しかけてくるので、何度も会っているにもかかわらず向こうがぼくのことを認識しているのかどうか不明だ。何をしている人なのだろうか。まさかこの洗車場の管理だけをしているわけでもないだろう。その、インド人なみに気安く話しかけてくる感じは、茨城の田舎のおじさんに共通しているものなのだろうか。それとも、このおじさんが特別なのだろうか。

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ほとんどテレビを見ないのだけど、録画しておいておもしろそうだったら見るという番組がいくつかあって、その一つがテレビ東京の『カンブリア宮殿』だ。村上龍がホスト役となって、いろいろなゲストにインタビューをする番組。だけど、たいていはつまらない。ゲストに多いのは社長なんだけど、社長というのは常識的であることが多いからだ。でもときどきおもしろいこともある。
9月15日放送の、「建築業界にメスを入れる風雲児登場! 〜これからは"高学歴大工"を育てろ〜」に出ていた平成建設という会社の社長、秋元久雄という人はおもしろかった。「変わっている」と言われるような人には2種類ある。ひとつは周囲の反応などを気にしながら、バランス感覚によってわざと奇をてらった発言をするようなタイプ。もうひとつは、単純に自分の頭で考えているから、周囲に反応して行動するだけの多くの人とは異なる発言や行動につながっているようなタイプである。この秋元久雄という人は、後者の、自分の頭で考えるタイプの人だ。ほとんどのハウスメーカーが、大工や左官などの職人を外注に出してしまっている中、この会社では、すべての職人を自社の社員として教育することで、質の確保をすると同時に、コスト削減にも結び付けている。

興味をもったポイントの一つは、世の中はたいていイワシの群れのようにすべて同じ方向に進んでしまうということである。その外側に出る思考力と想像力をもっている人は、いかにも少ない。宮崎駿も、CGアニメ全盛の時代において敢えて手描きにこだわることについて、町のすべての下駄屋が靴屋に変わっていく中で、一軒だけ下駄屋をやっていれば、いつか価値が出てくる、と、たしかそんなような喩えを出していた。それを思い出す。

もう一つのポイントは、平成建設の大工たちが、仕事を楽しんでいる点だ。ハウスメーカーの下請けになり下がった大工の仕事が、誰にでもできる単能職になってしまったのに対し、平成建設にいる大工は、一人で家を作るすべてをこなすような技術を身につけることを目標にしている。秋元久雄は、趣味がそのままお金に結びついたら一番いい、と言っていた。そして、大工仕事は大きな積み木遊びみたいなもので、楽しい、とも。だいたい、単なる積み木遊びが楽しいのは、子供だからであって、より複雑で、社会的意味もある「仕事」というものは、もっと楽しい遊びであるはずだ。ただし、仕事がおもしろいための条件は、単なる歯車としての単純作業になり下がらず、仕事としての複雑さを維持している点だ。そのことの実践例として興味深かった。