たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

映画『ファニー・ゲーム』を見た。
「ショックのあまり席を立つ人が続出の問題作」らしい。
もちろん嫌な気分になったけど、でもすごい。単なる悪趣味なだけでは作れない。スプラッター場面なんてない。
もっと精神的にやばい。


ジャック ケッチャムの小説『隣りの家の少女』を思い出した。


普通、安心して小説を読んだり映画を見たりできるのは、どんなに残酷なシーンがあっても、なんらかのルールにしたがってなされているからだ。この映画を見ると、それがよく分かる。
けっきょく、ほとんどの創作物はある「型」のなかでしか作られていない。そこからはみ出たものが持つ恐怖感は、特別なものだ。


この映画の監督、ミヒャエル・ハネケは「なぜ人々がこの映画に憤慨するのかははっきりしています。憤慨させる為に作ったのですから...。暴力は撲滅できないものであり、痛みと他人への冒涜であることを伝えたい。だから、暴力を単なる見せ物ではなく見終わった後に暴力の意味を再認識するものとして描かなければならない。また、今やハリウッドでは暴力が快楽を求める手っ取り早い方法となりつつあり、ユーモアとして処理されている」と言っているらしい。


暴力反対、みたいな言い訳は、必要なのかもしれないけど、言い訳な気がする。危険なものを作りたい、という気持ちが根源になかったら、最後の方に出てくるある場面(ネタばれになるから書かないけど、リモコンが関係する)はないだろうと思う。

映画を採点:★★★★☆