たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

しばらく前からずっと、「言葉」と「現実の流動性」について考えている。


なにか(たとえば気持ち)を言葉で表してしまうと、
その次の瞬間に現実(たとえば気持ち)は変化してしまったりするのに、
言葉はそのままで、その言葉にしばられて、
まるで言葉というシナリオに合わせて生きるかのように、
嘘の人生が始まってしまうのではないか。


というようなこと。


チャングムの誓い』という韓国ドラマにしばらくはまっていた。
その中で、医女を目指す主人公の女の子チャングムに対してシン先生が言うセリフがある。
おまえのように才能があるものほど、知識にあてはめて診断をくだしてしまい、
患者をしっかりと見ることを怠りがちだ。
医術を志す者にとって大切なのは知識ではない。人間としての深みだ。


というような感じ。


べつに才能があるものに限らない。みんな言葉に振り回されて、ろくすっぽ現実なんか見てはいない。
たとえば、
ある人物についての低い評価が集団内に広まると、自分の頭で判断することをせずに、
なんとなく低くその人を見てしまう。
もちろんぼくにもそういうことはある。
まっとうに、現実を見ることができる人は、少ない。


そして、まっとうに現実を見る人は、もしかしたら、この世の中においては、
ダメ人間、でしかいられないのではないか。
だって、はったりで生きていくしかないような世の中だから。
言葉優先で、自分も信じていないようなことを、
力強く言い切った人が勝ち、みたいな世の中だから。
などとも思う。