たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘


今日の夕方は、かなり「うんざり」していた。


原因は自分の無能さだとか、劣等感だとか、まあそんな感じのことなんだけれど、
「仕事をすること自体に、もううんざりした。他の選択肢、ないかな」などと同僚に愚痴を言っていたら、
「他に何ができる?」と言われ、「何だってできる!……いや、何もできないか」とか、そんなやりとりをしているうちに、
「うんざり」の原因は、仕事がどうとか無能がどうとかいう具体的なことではないのだろうなという気がしてきた。


具体的な問題点の向こう側にある根本的な問題は、「突き抜けていない」ことではないだろうか。
何から突き抜けるのか。たとえば、「良識」とか「倫理」とか「人間関係」とか、そういうこと。
この前、『トレインスポッティング』という映画について、「突き抜け感」という言葉を使ったけど、
たとえば、文章にも、突き抜けている文章とそうではない文章があるように、
生き方にももちろん、突き抜けている生き方とそうではない生き方がある。


突き抜けてしまえば、たいていのことはどうでもいい。くだらないプライドだとか、良識だとか、人間関係だとか、
そんなことが重要になってしまうことが問題なのであって、そこを突き抜けてしまえば、
どんな環境にいようと、すべてはこのわけのわからない世界に現れ、消えていくまでの間の暇つぶしみたいなものなのだから、
せいぜい楽しんでしまえばいい。


と、思いながら自宅に向かって車を運転していた。
4月とか5月くらいまではそういう感じのスタンスで生活していたと思うのだけど、
だんだん泥沼に足を取られるように、人間関係によって成り立つ「相対的価値観」によって世の中を見るようになってしまっていた気がする。