たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘


ゲーム的リアリズムの誕生』は、『動物化するポストモダン』の続編。『動物化〜』は読んでいたけど、同僚から薦められて(というか、勝手に本を貸されて)、読んだ。同僚は、対談集『リアルのゆくえ』が白熱していて面白かったらしくて、「俺だったらあんなこと言われたら泣いちゃうな」とまで言っていたのだけど、期待が大きすぎたのか、それほどではない。


むしろ読んでよかったと思ったのは、『ゲーム的リアリズムの誕生』の方だ。東浩紀の言いたいことは明快で、

 近代までの小説が、現実というデータベースをもとにしてリアルを求めたのに対し(自然主義的リアリズム)、
 キャラクター小説は、アニメのキャラクターのパターンなどをもとに「リアル」を求めている(大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」)。
 そして、ポストモダンの時代の小説を読み解くポイントとして、物語を読む読者の位置を(コンピュータゲームの物語がプレーヤーの参加によってはじめて成り立つように)取り込んで成り立つメタレベル性を示している(ゲーム的リアリズム

というようなことだと思う(明快だったけど、読み終わって本を返してしまったので、要約しようと思うと自信がない)。


ライトノベルと言われる小説のなかでも評価が高いものを少しだけ読んだことがあるけど、あまりおもしろいと思えなかった。それは、小説のレベルが低いからだと思っていたけれど、一方で、そうした小説の需要の大きさに納得できないものを感じていた。そういうもやもやがすっきりした気がする。ライトノベル小説を、「ゲーム的リアリズム」の視点から読もうとしてみたら価値が見出せそうか、試してみたい。