たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

本谷有希子の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(講談社文庫)を読んだ。


すごい熱気を感じる。解説で高橋源一郎が「絶望感」という言葉でこの小説を説明している。

「…そして、『真実』に直面したものが、必ずそうなるように、彼らは、もっとも深い絶望に達するのである」(高橋源一郎の解説「見えない戦争が終わった後で」より)


たしかに、この小説の迫力というのは、希望(絶望の対義語としてとりあえず)という絵空事を信じようとしていない点だ。タイトルに使われている「愛」も決して世界に潤いをあたえるものではない。


もうひとつ個人的に気になるのは、舞上王太郎とか佐藤友哉とかの新しい小説家たちにも共通する、ある感触について。
おそらくそれは物語が現実を遊離していくことで生まれる熱気だという気がする。


「リアル」について考えようとすると、しりあがり寿のマンガ、『弥次喜多 in DEEP』を思い出す。
リアリズムよりも現実から遊離してしまった方がリアルであるというこの転倒をパロディーとして描いている。
リアルとはなにか。