たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

iPadのアプリで青空文庫の誰かの名前を探していたら、
片岡義男」という名前が目に入った。
青空文庫著作権の切れた作家、つまり50年以上前に死んだ作家の作品が入っているはずなのに、
片岡義男はまだ生きているだろう、と思い、
同名作家? そんなわけないしなあと
作品のひとつ、適当に選んだ『時差のないふたつの島』という作品を開いて読み始めた。


文章から作品の年代を判断するのはむずかしいけど、読んでみると明らかにあの片岡義男の作品だということがわかる。
何年かまえ、ブックオフで100円で買った片岡義男作品を何冊か読んだことがあった。
おそらく、『日本語の外へ』という評論を読んだことがきっかけだったと思う。


中学生のころ、角川映画の『メインテーマ』なんかのおしゃれ映画の原作の作家として
売れていたのを記憶していたのだけど、その頃は読まなかった。
長い時をへて読んでみると、アメリカかぶれなのがたしかにちょっと嫌味なのだが、
文体はむしろ乾いていて、頑固な職人の作品という印象だった。


『時差のないふたつの島』という作品も、職人として隅々にまで神経がゆきとどいた文体によって、
ちょっと凝った構造の物語が語られる。
物語というよりは、文体によって読ませるような作品だった。
あるいは、ミニシアターで上演されるちょっと難解でちょっとおしゃれな映画をみているような。


文体、すなわち語り手の生き方に表れたぴんと張った倫理感というか美意識みたいのが
ある魅力を醸し出している。
アメリカかぶれということで、つい比べたくなるのだけど、村上春樹を思い出す。
村上春樹よりは、乾いている。
ハードボイルド。


最後まで読んでみると、
片岡義男自身の意思によって、著作権を放棄して
青空文庫」に載せているということが書いてあった。
漫画では、『ブラックジャックによろしく』みたいに、
作品を無料で放出している例があるけど、
小説家でも同じことをやっていた人がいたんだと、初めて知った。


『時差のないふたつの島』を読み終えて、次にこれも適当に『七月の水玉』という短編集を読み始める。


最初の短編「彼女が謎だった夏」は、魅力的な女性と、どきどきする関係のまま
魅力的な夏を過ごす話で、それが正確で、端正な文体によって語られる。
そしてエロい。


片岡義男の小説は、
一時の流行作家として忘れされてしまうのはもったいないクオリティーだということを
改めて確認した。


作品というかその向こうの作者に
温かみを感じないので、
村上春樹ほどは無理としても、
もうちょっと売れてもいいのになあ、と、
おおきなお世話だろうけど、思う。
でもぼくもブックオフ青空文庫でしか手に入れてないから、
まったく印税に貢献していない。