たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

  おととい失われた幾千の母に
                
自転車にのって どこへ行こう
夕暮れにはまだ 間があって
母もまだ 生きている
夕餉がぼくを待ってくれる この山の辺で


きょう 職場へ向かう車のなか そんな
だれかの故郷を思った
想像のなかで
母だけが ぼくの母であった


きのう 母は大学病院で 癌を告げられた
待合室で 母は
癌ではない気がすると いいはり
しばらく留守になる自宅を しきりに嘆いた


おととい 世界では たくさんの母が死んだだろう
たくさんの人の故郷が 消えたろう
病棟の 下降するエレベーター
変わりゆく数字を見上げながら
沈黙する人のひとりとなって
ぼくは祈る
幾千の母と
だれかの故郷のために


夕闇が近づいた山の辺で
自転車にのった ぼくが
知らない母をさがしている
ずっとまえから迷子だったと
いま 思い出して