たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

放課後教室にいたら、女子生徒がひとり自分の席で勉強していた。
ぼくが教卓で仕事をしていてふと気づくとデジカメを取り出していたので、見せてもらった。
お寺の門の写真。
「どこ?」
「日暮里」
そういえば、休みの前に日暮里に行くとか言っていたような気がする。
「デート?」
「ううん。友達と」
「何しに」
「せんべいを買いに」
「せんべい?」
「あ、お寺巡り」


日暮里には行ったことがある。シブイ町だ。
彫刻家。だれだっけな。彫刻家の家があって、中に入って自分の家みたいにくつろぐこともできた。
中庭を取り囲むように和洋折衷の建物がある。
訪れた二回とも天気が良くて、二階の縁側つきの部屋でぼおっとしていたら、「幸福」の瞬間が訪れた。


とか言う話をした。
彼女たちは墓場の隣りの公園でずっとブランコに乗っていたらしい。
せんべいをもらった。
ぼくが選んだのが一番高いやつで、1枚120円もするんだそうだ。


日暮里の駅を出て、墓場を左側に見て、ずっと進むと商店街に入る。
あの時間が止まったような、タイムスリップしたような商店街にはもう一度行ってみたいな。
というと、別の写真を見せてくれた。
細い路地に自転車がとまっていて、そのハンドルを握るおじさんは、ぜったいに現代に生きる人とは思えない。
おじさんの背後には、駄菓子屋だか八百屋だかが、セピア色の雰囲気で写っている。
感動してしまった。


日暮里はいい。
もしかして、日暮里がいいというのは別に目新しい見解ではないのかもしれないけど。


あ、思い出した。朝倉彫塑館だ。