たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

8月は比較的余裕があったので、彫刻を始めた。
中学だか高校だかの教科書で、高村光太郎のナマズの彫刻を見て以来、ずっと潜在的に木彫をしたいと思っていたことに気づいたのだ。


道教師の同僚が、木にも刃物にも彫刻にも詳しくて、いろいろ教わりながら道具を揃えた。
趣味(とは言いたくないけど、たとえば一般的に)をやる上で、道具を買うということの喜びはかなりのものであるわけで、
今まで目もくれなかったホームセンターとか金物屋の刃物類に妙に興味を持ち始めた。
最初に買ったのは、「切り出し」という名の小刀。かなりの値段のするかっこいいやつを奮発して買った。
そして土嚢に500円で詰め放題の木材を買い、最初に魚を彫った。
実際に彫ってみると、ほかにも様々な道具が必要になる。彫刻刀とか鉈とかのこぎりとか、
いろいろと選ぶのは楽しい作業だ。


最初にできた魚の彫刻は、タイ焼きみたいであまり上出来とはいえないけど、
これから見た人の度肝を抜くようなものを作っていきたい。


そういえば、彫刻を始めようと意気込んでいた頃、
つくば美術館で「魅惑の像−具象的なるかたち」と題して、6人の作家による具象的なオブジェが公開されていた。
「何か作りたい!」という気持ちで見ていたからなおさら楽しくて、特に山野千里というまだ若い
(写真を見るとほっぺたが赤くておぼこ的な印象の)女性作家による陶芸がすばらしかった。
動物とか人とかが、かわいらしくて、いくらするのだかわからないけど、できたら購入したい、
けどきっと高いだろうから、模写して自分でも同じようなものを作りたい、と思わせられる。


そういえば、彫刻をやろう、と思ったそもそものきっかけは、『美術手帖』の8月号で
現代アート基礎演習」という特集をしていたからだった。
現代アートを鑑賞するのではなく、それらを真似て自分で作ってみよう、という方向性で、
たとえばピカソの「骸骨」(1943)というブロンズ作品(これがすばらしい!!)
を粘土で作ってみよう!とかいうもの。


以前からぼくは、芸術作品は出来上がりよりも、製作過程の方がおもしろいのではないかと思っていたのだけど、
(だいたい、たとえば筆使いが生々しく残っているような作品を見るとき、画家の筆使いをそこに感じている)
それは作っている様子が気持ちよさそうだからで、
その行き着くところは、自分が作ってしまう、ということではないかと思うのだ。