たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

帰宅途中の車の中でFMラジオ(J-WAVEの「JAM THE WORLD」)を聞いていたら、「ネットカフェ難民」という人たちの問題について語っている人がいて、聞き入ってしまった。
ワーキング・プアと言われる人たちが、住居を持たない場合、インターネットカフェのナイトパックを利用して夜を明かすのだそうだ。
そうした暮らしには意外と金がかかるが、そこから抜け出す余裕(アパートの頭金等)がないため、それを続けているらしい。
「もやい」というNPO法人湯浅誠という人がそんなことを語っていた。
それがとても興味深くて、
一言も聞き漏らすまいとして聞いてしまった。


で、ぼくは社会問題に対する関心がないくせに、我ながらずいぶん興味深く聞いているなあと思いながら帰宅し、改めて考えてみると、どうもぼくはその人の語る内容ではなく、その語り口に引きつけられたのではないかと思うのだ。

湯浅誠という人の話し方はとても明快で、その裏には世界に対する公正な視点のようなものを感じた
(ちょっと聞いたくらいで分かるか?と思うかもしれないけど、そういうことは、話し方をちょっと聞いただけで伝わってくるものですよね)。

明快に、論理的に語るためには、もちろん内容に精通していることが大切で、だからもちろん、内容抜きで語り口について判断することはできないのだけれど、とにかく、ぼくが興味を持ったのは、ワーキングプアの問題と言うよりも、その湯浅という人の明快で公正な話し方だったということだ。


で、それは小説についても言えるのではないかと思う。
ぼくがある小説がおもしろいと思うとき、それは、内容の問題というよりも語り口の問題であることが多いのではないか。
もちろん、内容を抜きにして文体なんてありえないけれど、文体というのはその人の世界観を表し、大切なのは、どんな事件が起こるかとか、ストーリーはどうかとか、そんなことではなく、その人の世界観としての文体ではないだろうか。

だから、好きな作家の小説を読むとき、ぼくは文体を通じてその作家の世界観を共有しているということなのだ。


ちなみに、「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」のホームページはここ
http://www.moyai.net/