たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

朝、職場の駐車場に着くと、車の中でしばらくひきこもる。
とりわけ月曜日の朝はひきこもりの必要性が極めて大きい。
駐車場の端にある生垣に向かって車をとめて座席を倒し、
木の枝が揺れているのや
雲が動いていくのや
鳥や蝶が飛んでいるのや、
そんなものを見ながら、これから社会生活が始まるということに対して、最後の抵抗を試みる。
そして、頭の中に自分だけの世界を抱えながら、駐車場を横切り、職場の玄関に向かって歩いていく。

今日はこんなことを考えた。


みんな自分にとって大切なものや、目標だとか夢だとかを持って、一生懸命生きているわけだけれど、すべてはたんなる思い込みに過ぎないんだよな。思い込みというか幻想というか、とにかく、酒を飲んで楽しくしていた後に急に酔いが覚めてしまうような感じで、すべての大切なものがどうでもよくなり、すべての目標がどうでもよくなり、すべての欲望がどうでもよくなったら、それが本当のこの世界なのではないだろうか。すべての欲望がそんなふうに幻でしかないなら、みんな、それに気づかないように、綱渡りみたいにそろそろと生きなければいけないな。もし、すべては幻想だと気づいてしまったら、一気にすべてがどうでもよくなり、それからどうやって、何を手がかりに生きていけばいいか分からなくなってしまう。でも、人によってはおそらくうすうすは(あるいははっきりと)それに気づいていて、どうでもいいからめちゃくちゃなことをやってしまったり、本当の世界から目をそらすために酒や薬に溺れたりしているのだろうか。


とか考えながら、職場の自分の席に着く頃には、まったく社会に巻き込まれてしまって、目の前の仕事をするのに精一杯だ。
すべての欲望は幻想だとか、考える余裕はなくて、こんなふうにしてぼくらは精神の健康を保っているのかもしれない。
仕事は現実から目をそらすためのドラッグである。