たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

映画『ドリーマーズ』/創造的な時間

目の前のことを処理することばかりに頭を使って、結局創造的な時間をあまり過ごしていない。
もちろん創造的な時間みたいなものがそんなに頻繁にやってくるものでもないだろうけれど、
そういう方向に頭を持っていくような努力だけはしていないと、頭の中が枯れてしまいそうだ。


最近の創造的な時間1
映画『ドリーマーズ』(ベルナルド・ベルトリッチ監督)の中で、主人公のマシューが友達のお父さんの前で「世界はすべて調和している」という話を唐突にし始める場面をみたとき。

映画というのは、ハリウッド映画みたいに、だれでもおもしろがることのできるけれど浅い、というタイプにしても、
コーエン兄弟のものみたいにちょっと皮肉を利かせて洗練された方向に向かったタイプにしても、あまり個人的な匂いがしない。

でも、『ドリーマーズ』は青臭くて恥ずかしい個人的な匂いがする。
文学にしても映画にしても、「個人的」であることは、芸術にとっての大事な目標なのではないだろうか。

けっきょく「自分」というこの心の中から一歩も出ることなく、たった一つの人生を生きるしかないわけだけど、
小説を読んだり、あるいは、こういう「個人的な」匂いのする映画を見ることで別の人生を経験することができる。

それが芸術の効用なのではないか、と思う。


最近の創造的な時間2
今日、アメリカに行っていた友達から着信があって、2年ぶりくらいに電話で話した。
相手が創造的な人物であると、その人と話すために自分の中の創造的部分が刺激される。

2年の間に強くなった、らしい。他人の目を気にしなくなった。
「世界は広くて、でも、たくさんの現実を作り出しているのは自分で、他人のいうことも、自分が思う他人の意見で、だからそれに振り回されないようにする」とかいうことを言っていた。

「分かるようで分からない。ぼくがその境地に達していないからかもしれない」と言ったら、
「達してるよ。それか、必要のない境地なんじゃない?」と言われた。
2年ぶりくらいとはとても思えないくらい、即座に近しい感じで話せるのがすごい。
そういえば前からそういう相手だったと思った。
それを指摘すると、「友達を大事にするからだ」というような説明をしていた。


映画を採点『ドリーマーズ』:★★★★★☆