たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

録画してあったNHKの「ETV特集 細野晴臣」を見た。松任谷由美が細野春臣の人柄について「浮遊感覚」という言葉を使っていて、この人物の良さを言い表すのにぴったりだと思った。


ぼくは音楽的教養およびセンスに欠けるので、むかし知人から薦められてはっぴいえんどのアルバムを聴いたときも、それほどぴんと来たわけではなかった。
でも、その後、いくつかアルバムを買ってみたり、出演するテレビ番組をチェックしたりするうちに、その音楽的な歴史や思想体系みたいなものが分かってきて、すると音楽とは別のところで、つまり「表現一般」として考えてとても興味深い人物だと思うようになった。


今回の番組で、彼は東日本大震災後、ミュージシャンとしてどう生きればいいかとずっと考えていると語っていて、たとえば一つの答えとして「音楽が、不幸な時代におけるひとつのともし火みたいなものであればいい」というような、まあ、ちょっと美しすぎるようなことも言っている。でも、それが彼の音楽と重なりあうと、あながちきれいごとではない感じで心に染みてもくる。かざるのではなくて、もっと自然に、「自分の部屋のきたないソファできたないギターで曲を作っているときの幸せ」を、その当り前の感じを出したい、なんていう言葉も、なんだかいいなあと思わされる。


またはアンビエントの曲を作っていた時代について、アンビエントは「環境音楽」なんて言われるけど、本当は心の反映としての音楽なんだ、というようなことを語っていた。そして、その時代、世界各国に、少しも有名ではないけど、すぐれたアンビエントの曲を作る人々がいたのだとか。「アンビエントは、商品ではなく、コミュニケーションなんだ。」というような言葉。


それらから感じるのは、なにか周囲の価値観から浮遊した、少し高みに立って、この世界を味わっているような姿勢だ。その「味わっている」という感じ、自分の感覚を信頼する感じが誠実さなのだと思う。