たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

森に棲む魚
            

人生の終わりに老人
すなわち私は
木々に囲まれた夕暮れの庭の
池のほとりにしゃがみこんでいる
鬱蒼と生い茂る木々に覆われた
緑色の濁った池
その水面を見つめるとき
鬱蒼とした木々が風にさわぎ
始まりも終わりもない時間が
たゆたっている
それはそのまま
幼いころの
時間である

  *

――全速力でぼくは走って、急に
立ち止まる
大きな空で夕焼け雲がゆっくりと
めぐるから
地球の反対側では
だれかが死ぬだろう
そう確信した
それはぼく自身かもしれない
だけど今は
ぼくは生きて生きて
生きている
どこまでも行ける
夕空の向こう側のすべては
ぼくのものだ
魚取りの網を手に
小川のほとりを走る
水鳥が次々と
飛び立っていった

  *

――夢の記憶を追いかけて見失う
特別なことではない
過ぎ去った時間はすべて
つかむことの不可能な
どこかへと消えていき なのに人は
信じすぎる それだけのことだ

  *

森を発見する
ぼくの森
魚を求めて小川をさかのぼり
見つけた
森の下生えを覆い尽くすように
透明な水が行きわたり
魚たちが
木々の根をくぐりぬけている
森のなかではぼくも
ただ一ぴきの 生き物だ
ぼくは彼らの国に招待された
唯一の人間だ
と思っていた
彼女に出会うまでは

  *

「わたしはきれいなものしか
見たくない 
おしゃれな服を着てお気に入りの靴をはいて
わたしはつぎつぎと
みにくい男たちに見つめられるから
きっとますますきれいになる
わたしはほんとうはみにくいものが
好きなんだ
みにくいものを吸いこんで
ますます磨かれていく
期待して 神さま」

  *

森は心
森は魂
ぼくの心臓のその向こうを
あいつは知っているのか
あり得ないよ
どうして彼女がここにいるんだ

  *

「あなたはとなりのクラスの子だよね
なぜここにいるの
わたしが見つけたんだよ
魚たちとわたしは
友達になったの
わたしの言うことをみんな
きいてくれるよ」

  *

ぼくの森だよ
それを知らないのか
ぼくがこの森の
王だ
この森に棲む
魚たちの
昼でも薄暗いから
電灯をつけたのだ
どこにいてもぼくの声が届くように
スピーカーをつけたのだ
だけど魚たちは彼女を選んだ
彼女の声
「ヒロコが死にました
 みなさん 集まってください
 とむらうのです
 彼女の体を 食べるのです」
腹を見せて斜めに浮かぶ白い鯉を
ついばむ魚たち
透明な水は
血に染まる
てらてらと輝くうろこと
魚たちの跳ね上げる水を
マイクを持った彼女が
見下ろしている

  *

「あなた
わたしを好きでしょう
知ってるの 美術の時間に
いつも私を見ているのを
でも やめたほうがいいよ
わたしは悪魔に魅入られた女だから
ここはわたしの神聖な場所
ひとりきりで立ち向かうの あいつに
だから近づかないで
わたしには怖いものがない
ただ一つを除いて」

  *

怒りと欲望がいりまじった
どろどろの気持ちを抱えて
ぼくは森に向かう
彼女に支配されたふりをして
実は憎んでいる
魚を見るふりをして
彼女の白い脚をじっと見つめる
ぼくにとって
森はしだいに彼女自体になっていく

  *

「魚たちが脚にまといつくのが
とても気持ちがいいの」
彼女は服のままで
水に横たわり
スカートの裾から入り込む
魚をよけもしない
沸き立つように
群れ集う魚たちのただなかで
彼女の白い肌がしだいに紅潮していく
それをぼくはじっと見つめていた

  *

彼女に支配された
美しい森にぼくは肉食の
異形の魚を持ち込んだ
彼女のものになってしまった
森を取り戻すためなのか
彼女をけがすためなのか
分からないまま
グロテスクな魚を森に放つ

  *

「おかしな魚を見つけたの きっと
あなたとわたしの森に
あいつが送り込んだんだ
わたしたちの魚たちが 
たくさん食べられてしまった
これからお葬式をするの」

  *

厳粛な葬儀ののち
ぼくが用意したナイフを手にして
ぼくらはいっしょに
異形の魚を探す
ぽっかりと木々が開けた空間に見つけた異形の魚は
多くの魚を食って肥え太り
悠然とぼくらを見つめている
ナイフを振り上げた彼女が
飛沫をあげながら走っていき
やがて異形の魚に食われていく
血に染まった水面に
彼女の背中がしばらく浮いていたが
やがてそれも最後に沈んでいった
ぼくはそれを
妖しいときめきとともに見つめていた

  *

――人生の終わり
老人すなわち私が見つめる濁った池の奥から
ゆっくりと浮かび上がる一匹の魚
老人は
それがあの少女ではないかと
思うのだった