たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

ひさしぶりにヴァルネラ的気分になった。と、この日記に前回書いたのが11月だった。
以来まったくこういう気分にならなかったかどうか定かではないが、ひさしぶりにヴァルネラ的状態が続いていて、
精神が弱り、全身からはおそらくマイナスオーラが発せられている。
動物的勘を備えた人間は嗜虐性をあらわにして攻撃するし、そうではなくてもたいていの人間はその卑屈でみにくいマイナスオーラを感じ取って冷たい態度で対応する。
こういうときはこころを殻に閉じ込めてじっとしているべきなのだろうけれど、仕事的にも性格的にもそうはいかず、
自ら墓穴を掘るようなことを連発してますます状態を悪くする。


原因はあきらかにしばらく前から治らずにいる風邪であって、情けないことにぼくの精神状態はちょっとした体調の変化によってぐらぐら揺れ動く有様で、重病に侵されながらも前向きに優しさを忘れずに生きている人も存在するにも関わらず、まったく甘えたものだと我ながら思う。


しかし負け惜しみを承知で言うならば、ベクトルの向きはマイナスであるのはたしかだけれども、どーんと気分が落ち込んだ状態は、ある意味「生きている実感」を感じさせるものではある。
「鬱」というのはエネルギーがあるから引き起こされる状態であるというのはその通りだと納得する話で、もちろんぼくのは鬱病というほどの深刻さはないのだから比較する意味もないかもしれないけれど、とにかく「鬱鬱」と内面にエネルギーをたぎらせているようなこの感触は、どういう意味でかはよく分からないけれど無駄ではない、という感じがする。
すくなくとも世間の風が冷たいから内面に逃げ込むと、それはそれで居心地がいいものであって、こうやって自分の中に閉じこもっている方が精神的には豊かさにつながるのはたしかだろう。