たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

貴志祐介新世界より』(講談社)を読んだ。未来、超能力を使うことのできる人々の社会が舞台。そこに育つ子供たちが、平和な世界の背後に隠されたタブーに気づいていく、という話。

単純に、とても面白く読んだ。この面白さは、もちろんストーリーテリングの巧みさにもよるだろうけど、綿密で魅力的な世界構築によるところが大きい。特に、精神病や奇形、差別などのタブーに触れる感触がすばらしい。

これは、アンチ・ユートピア小説ということになるのだと思う。ジョージ・オーウェルの『1984年』とか、ハックスリーの『すばらしい新世界』とかの流れ。アンチ・ユートピア小説には、現実世界を映す鏡としての目的があって、作者の主張があまりに露骨だと白けてしまう。世の中や人の心の汚い部分がどのようにリアリティーをもって描かれているかが、興味深さのポイントになる。この小説に描かれている(と勝手に思う)精神病患者や奇形の人々、部落民などへの差別は現在でももちろん存在し、そして、いまだにそれらについて語ることはタブーの感触をともなっている。

一般的なものなのか、ぼく個人の趣味なのか分からないけど、隠されたもの、禁じられたものについて知る、ということはとても快楽的な経験だ。だからこそ、この架空世界の物語はこんなにも魅力的なのだと思う。

読みながら、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を思い出した。『私を離さないで』は読後しばらくしてから読み返したくなる上質の小説だった。『新世界より』と同様、少女時代を回想する一人称によって、その世界のタブーが少しずつ明らかにされるという内容。貴志祐介はそれに影響を受けたのだろうかと想像しながら読んだ。文章の質では『私を離さないで』に及ばないけれど、エンターテインメントとしてのダイナミズムにおいてはそれ以上だった。