たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

自分がとても弱っているときに限って、人から傷つく言葉を受ける。


初めてそのことに気づいたのは大学生の時だ。
ぼくはその日、大学で嫌な出来事があって、劣等感やら嫉妬やらのぐじゅぐじゅした気持ちを抱えながら自宅に向かって自転車をこいでいた。
前を歩く小学校低学年の子供の横を、自転車で追い越そうとした時である。
まだあどけなさを残すその少年はぼくに向かって、「あぶねーな! くそっ」とか何とかと悪態をついたのである。
弱っているぼくは何かを言い返すことすらできず、何だか信じられないような気分で、早く布団に入ってこの悪夢を終わらせようと思った。
おそらく少年は、ぼくが元気で陽気な気分であったなら、そのような言葉を吐かなかったのではないだろうか。


以来ぼくは、自分が精神的に弱って攻撃されやすくなっている状態を「ヴァルネラビリティー」と呼んでいる。
今日のぼくも「ヴァルネラ」に突入していた。
動物的勘が発達した人は、必ずぼくの弱った状態を察知し、攻撃してくる。
そしてぼくが勤める職場には、そうした血に飢えた獣たちがうようよしている。
ぼくは攻撃に会うたび、必死に傷を見せまいとして、おそらく弱弱しい笑みを浮かべながら何だかとんちんかんな受け答えをしてしまうのである。