たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

ぼくは暇な時間に耐えられない。
たとえばちょっとレジに並ぶような時も、文庫本を持って来ればよかったと後悔したり、
携帯でメールを打ってみたりする。
すぐに自分の順番が来てしまうのに。


今日は勤めている学校の入学試験があって、試験監督をした。
試験監督中は本を読むわけにも携帯をいじるわけにもいかないので、
まじめに仕事をするか(「机間巡視」をするとか)、
頭の中でいろいろ考えるか、しかない。


だけど、頭の中で何かを考えて、「充実した!」と感じるような
成功例はそれほど多くない。
そういうときの考えというのはほんとにとりとめもなくて、
たとえば、この時間を使って「どうやったら充実した思考が可能か?」について考えよう、と思い、
「好ましい人について考えるのはどうだろう」と決めてその「好ましい人」について考え始めるが、
その好ましい人に対しての失言を思い出し、それをきっかけにそこから自分の軽薄さについて考え始め
てしまったり……。
とにかく、一貫性のない、充実とは程遠い結果になることが多い。


たとえばカント(だっけ?)は散歩しながら思索をしたというけど、
毎回散歩のたびに充実した思索を行うことができたのだろうか。
くだらないことを考えることがほとんどで、
たまにうまくいって、哲学的思索にふけることができただけなのか?
いや、きっと、毎日きっかり同じ時間に同じコースを散歩したというエピソードが物語るように、
ある状況になるとある決められた思索が始まるような条件付けを行ってしまえば、
けっこう高確率で「充実した思索」が可能なのかもしれない。


こうやってブログを書くためにパソコンの前に座ると「充実した思索」が始まるような条件付けをしよう!