たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

現代文の授業で、「宮沢賢治の手紙」というものを扱った。
「手紙 四」とされるもので、無題のままで活版印刷され、匿名で郵送されたり、手渡しされたり、中
学校の下駄箱に入れられたりしたと言われる4種類の手紙のうちの一つだ。


教科書を通じて初めて読んだのだが、この手紙が魅力的なのだ。
ここには、宮沢賢治の思想が物語を通して語られている。
その思想とは、大ざっぱにいってしまえば、「すべての命はつながっている」というものだ。
それが、ただの抽象的な思想ではなく、賢治の個人的な動機から発しているから、切実な力を持っている。
その動機というのは、「妹の死を乗り越えるため」というものだ。
すでに死んでしまった妹に自分がしてやれること。それは、すべての命がつながっていると考えるならば、
すべての人を幸福にすることだ。


カフカもそうだけど、宮沢賢治も、だれかに評価されるためという動機よりも先に、
自分のために書いているという感じがしていい。
カフカ宮沢賢治も、みんな誉めはするけど貶しはしないというのは、
媚びたオーラを出してないからではないかな。
ほんとうに価値のある文学は、「自分のため」に書かれたものである。
と、とりあえず書いてみたけど、どうだろう。


宮沢賢治の「手紙 四」を全文引用する。


 わたくしはあるひとから云いつけられて、この手紙を印刷してあ
なたがたにおわたしします。どなたか、ポーセがほんとうにどうな
ったか、知っているかたはありませんか。チュンセがさっぱりごは
んもたべないで毎日考えてばかりいるのです。
 ポーセはチュンセの小さな妹ですが、チュンセはいつもいじ悪ば
かりしました。ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木
になめくじをたけて置いたり、ポーセの靴に甲虫を飼つて、二月も
それをかくして置いたりしました。ある日などはチュンセがくるみ
の木にのぼって青い実を落していましたら、ポーセが小さな卵形の
あたまをぬれたハンカチで包んで、「兄さん、くるみちょうだい。」
なんて云いながら大へんよろこんで出て来ましたのに、チュンセは、
「そら、とってごらん。」とまるで怒ったような声で云ってわざと
頭に実を投げつけるようにして泣かせて帰しました。
 ところがポーセは、十一月ころ、俄かに病気になったのです。お
っかさんもひどく心配そうでした。チュンセが行って見ますと、ポ
ーセの小さな唇はなんだか青くなって、眼ばかり大きくあいて、い
っぱいに涙をためていました。チュンセは声が出ないのを無理にこ
らえて云いました。「おいら、何でも呉れてやるぜ。あの銅の歯車
だって欲しけややるよ。」けれどもポーセはだまって頭をふりまし
た。息ばかりすうすうきこえました。
 チュンセは困ってしばらくもじもじしていましたが思い切っても
う一ぺん云いました。「雨雪とってきてやろうか。」「うん」ポー
セがやっと答えました。チュンセはまるで鉄砲丸のようにおもてに
飛び出しました。おもてはうすくらくてみぞれがびちょびちょ降っ
ていました。チュンセは松の木の枝から雨雪を両手にいっぱいとっ
て来ました。それからポーセの枕もとに行って皿にそれを置き、さ
じでポーセにたべさせました。ポーセはおいしそうに三さじばかり
喰べましたら急にぐたっとなっていきをつかなくなりました。おっ
かさんがおどろいて泣いてポーセの名を呼びながら一生けん命ゆす
ぶりましたけれども、ポーセの汗でしめった髪の頭はただゆすぶら
れた通りうごくだけでした。チュンセはげんこを眼にあてて、虎の
子供のような声で泣きました。
 それから春になってチュンセは学校も六年でさがってしまいまし
た。チュンセはもう働いているのです。春に、くるみの木がみんな
青い房のようなものを下げているでしょう。その下にしゃがんで、
チュンセはキャベジの床をつくっていました。そしたら土の中から
一ぴきのうすい緑いろの小さな蛙がよろよろと這って出て来ました。
「かえるなんざ、潰れちまえ。」チュンセは大きな稜石でいきなり
それを叩きました。
 それからひるすぎ、枯れ草の中でチュンセがとろとろやすんでい
ましたら、いつかチュンセはぼおっと黄いろな野原のようなところ
を歩いて行くようにおもいました。すると向うにポーセがしもやけ
のある小さな手で眼をこすりながら立っていてぼんやりチュンセに
云いました。
「兄さんなぜあたいの青いおべべ裂いたの。」チュンセはびっくり
してはね起きて一生けん命そこらをさがしたり考えたりしてみまし
たがなんにもわからないのです。どなたかポーセを知っているかた
はないでしょうか。けれども私にこの手紙を云いつけたひとが云っ
ていました。「チュンセはポーセをたずねることはむだだ。なぜな
らどんなこどもでも、また、はたけではたらいているひとでも、汽
車の中で苹果をたべているひとでも、また歌う鳥や歌わない鳥、青
や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、
みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから。チュンセ
がもしもポーセをほんとうにかあいそうにおもうなら大きな勇気を
出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけな
い。それはナムサダルマプフンダリカサスートラというものである。
チュンセがもし勇気のあるほんとうの男の子ならなぜまっしぐらに
それに向って進まないか。」それからこのひとはまた云いました。
「チュンセはいいこどもだ、さアおまえはチュンセやポーセやみん
なのために、ポーセをたずねる手紙を出すがいい。」そこで私はい
まこれをあなたに送るのです。