たらたら神秘主義

本と映画と音楽と日常、できれば神秘

映画『桐島、部活やめるってよ』

薦められて、itunesでレンタルして『桐島、部活やめるってよ』を観た。すばらしかった。

 

まず第一に、リアリズムのすばらしさだ。リアルであるということは、自然であるというよりはむしろ、とても丁寧に作りこんであることだと分かる。

ところどころに、何度でも見返したくなるような魅力的な場面がある。ストーリーを進める上ではなんの意味もない、何気ないやりとりの中の、何気ないセリフの何気ないイントネーションなんかに。ほんとうに、どうでもいいような。あれらは、宝石だな。

(ちなみに、そういう宝石をもっとも繰り出している役者はおそらく、沙奈といういやな女―トモキの彼女―だ。)

 

そして、映画としての魅力的な場面のかけがえなさは、観ているものにとって、この映画のテーマ「生きることの意味のなさ、およびその反転としての日常の何気ない時間のかけがえのなさ」につながってくる。

 

もちろん、そうしたリアルで魅力的な場面を成り立たせているのは、技巧的にカッチリと作られたプロットと、同じくよく計算された画面構成だ。むしろ技巧がすぎるくらいで、作り手の無意識というか、見る人の深いところに感応させるような何かはなくて、そのせいか、「これは僕のための映画だ」というような思い込みはできない。でも、それは無いものねだりというものだろう。とにかく、すごい映画だ。

 

そういえば、同じく日本映画で、中原俊監督の『櫻の園』(1990年版)というのがあって、あれも感動したなあ。

同じように高校生たち(ただし『櫻の園』は女子校が舞台)の日常を描いている。

「なんでこの映画のセリフは他の映画とまるでちがってリアルなんだろう」と思っていたら、たしか、役者たちをしばらく放置し、なじませた後で、すべてのセリフのディテールを役者たちに任せた、とか、よく覚えてないけど、すごく手の込んだ演出の仕方をしたらしかった。

『桐島、〜』はどうやって撮ったんだろう。

 

映画を採点『桐島、部活やめるってよ』:★★★★★